「大人」と聞いたら、みなさんはどのような人のことを思い浮かべるでしょうか?
お金を稼いで経済的に自立している人? 成人年齢を超えている人?
辞書等で調べると、「十分に成長した人」や「思慮分別がある人」などとわかるようなわからないような、曖昧な言葉で説明されています。
先月末の「はらっぱカフェ」では、そんな「大人」についての議論が展開されていました。
「はらっぱカフェ」とは、毎月第4日曜日に行う、みんなで一つの議題について語り合う会です。
『大人に言いたいこと』というテーマで行われた先月は、色々な意見が飛び交う面白いものでした。
「何で成績をつけるの?」と大人が行う教育のあり方に疑問を呈する子。
「大人に意見を言ってもしょうがない」と大人に対しての諦めを抱く子。
「車に乗りたい!働きたい!だから大人になりたい!」と希望を持つ子。
小学生から高校生まで、様々な子が様々な思いを持って発言をしたり、真剣なまなざしでその発言を聞いたりしていて、普段のはらっぱとはまた違う雰囲気がそこには広がっていました。
そんな子どもたちの話を聞いていると、私自身も「大人って何なのだろう?」と考えを巡らせるようになっていました。
そしてたどり着いた一つの結論が「大人は経験値が多いだけの人」というもの。
子どもたちより生きている年月が長いので経験が多いことは当たり前です。
「こうしたらこうなる」という経験をたくさんしているからこそ、効率よく物事を考え、行動することができ、なおかつ他者を思いやることができるのだと思います。
例えば、(大人の遊びの一例として)草野球をするときに「ボールをこれだけの力で投げたら、ここら辺まで飛んでいくだろうな」と考えることができたり、「周りに人がいるから今はここでボールを使うのはやめておこう」と行動できたりするのは、過去の経験によるところが大きいのではないでしょうか。
では、「大人」の対比として使われる言葉である「子ども」にはそれができないのでしょうか?
私は、そんなことは決してないと思います。
子どもたちだって、一人の人間です。たくさん考え、話し合い、より良い決断をできるように行動することができます。ボールが遠くに飛ばないように考えて遊ぶことができますし、近くに人がいたら中断することもできます。
それなのに「大人」は、「ボールを使うと危ない、迷惑である」と自身の経験から考え、あらかじめ公園に「ボール遊び禁止」の看板を立てます。
そりゃ、大人に比べて経験値の少ない子どもたちは、正しい判断をできないこともあります。
ボールを空き地の敷地外に出して、そこにある盆栽を壊してしまうこともあるでしょう。
そういうときこそ、大人の出番。「雷親父」のように直接伝えてあげればいいのです。
人間関係が希薄になっている現代では「雷親父」のように直接怒ってくれる人はなかなかいませんが、地域のみんなで子どもの成長を見守る世界が素敵だなと、私は思います。
たくさん遊んで、たくさん笑って、ときには怒られたり、ケンカをしたりもして。
そうして色々な経験を重ねることで、「子ども」はいつしか「大人」になっていく。
その経験の場を奪うことがないように、大人は行動していかなければいけないなと思います。
今月も第4日曜日の2月27日に「はらっぱカフェ」があります。
この機会にぜひ一度、地域の方も足を運んでみてください。
そこには大人も子どもも関係なく語り合うことができる場が広がっています。
(プレイワーカー りゅう)