私には、しんどいときや苦しいときにお守りのように心の中でつぶやく言葉があります。
「ケセラセラ」
スペイン語で「なるようになる」という意味のこの言葉。
なるようになるって、一見無責任な感じに聞こえますが、結果がどうなっても受け入れてくれる感じがして、私はとっても好きです。
人間生きていれば誰しも、とてつもなく大きな壁にぶち当たることが数えきれない程にあります。
明日学校行きたくないな。とか、一人では抱えきれないどうしようもない悩みとか。
そんな時に、「ケセラセラ」と聴くと、なるようにしかならないんだから、思い切って一歩踏み出してみよう!って、私は思えます。
学校に行ってみるのも、行かないでみるのもその一歩だし、信頼できる人に相談するのもまた一歩。
その一歩は大きかろうと小さかろうと、誰かに文句を言われる筋合いのない、かけがえのない一歩です。
その行動をできたことがすでに素晴らしい。
そうして踏み出した一歩で、もう一度壁にぶつかってみると、案外簡単に壊れて、晴れ渡った青空が見えたりするかもね。
辛いことがあっても、明日こそは晴れた空が見えて楽しい日になる。
今が最低最悪で辛いってことは、ここから先は上がり目しかない。
生きてさえいれば、ケセラセラ。
そう信じて私は生きています。
そして、遊びの中でもこの「ケセラセラ思考」は必要なのかもなぁということに最近気がつきました。
はらっぱには大きな滑り台があるのですが、今年の夏も例年通りそこにブルーシートをかけて、立派なウォータースライダーが誕生しています。(もうそろそろ滑り台に戻してしまうかも!やりたい子は早めにおいで!!)
大人気なウォータースライダーですが、これがまあそこそこ高くて、速くて。
水に濡れた身体でシューっと滑れば、一瞬でバシャン!と浅いプールに着水します。
その速さが楽しさの一因ではあるのですが、当然それが怖いと思う子もいます。
スライダーの上に登ってみたものの、怖いからやめとくーとなる子もしばしば。
そのような子に対して、見ている大人からは「大丈夫だからやってごらん!」という声がかけられます。
子どもからすれば「大丈夫じゃないからやめるって言ってるのに!」って感じかもしれませんが(笑)
一方大人からすれば、大怪我するかもしれないことを「やってごらん」とは口が裂けても言えません。
大丈夫だと確信し、前向きに「なるようになる」と思えているから、その言葉をかけているのです。
その言葉が届いたときに、意を決して滑ってみた子は、たいてい何事もなく滑り切ることができます。
そしてその後は、それはそれは楽しそうに何度も何度も滑るのです。
あんなに怖がっていたのが噓かのように。
知らないことは怖いことだから、未体験なことが怖いのは当たり前です。
大人になってもそれはそう。
バンジージャンプやったことがない人に、「ほら、やってごらん」と言ってもすぐには受け入れられないでしょう。絶対に怖いし。
ですが、その恐怖を乗り越えてやってみると、見たこともない景色がそこには広がっています。
それが自分には合わない、楽しくないと感じることもありますが、それもそれでいい経験として、その後はやらなければいい話。
なるようになると信じて、思い切ってやってみることが、自分の可能性を広げるチャンスなのかもしれません。
そして、子どもたちがそのような挑戦をするためには、安心して過ごすことができる場が必要です。
失敗しても怒られない、自分はここに居てもいいんだ、と思えるような場を、いろんな方と力を合わせながら創っていければなと、思います。
(プレイワーカー りゅう)